これはただの恋愛話じゃない

やはりどう考えたって、
愛してくれる人しか愛せないと思う。
人間的な意味でも異性的な意味でも。

愛というのは、
文字通りの「愛」を含めて、
「尊敬」や「評価」や「承認」的な意味も入っている。

愛せないものは一刻も早く手放すべきで、
愛されてないと気づいたら一刻も早く離れるべき。
前者の場合も後者の場合も、どちらも幸せにはなれないと思うので。
少なくとも現段階では、わたしはそう思う。

こう考えると、
相思相愛というのは、
相乗効果というものと比例しているのかも知れない、と思ったりもする。

では相思相愛のスタート地点はどこなのかと言うと、それは、
自分もしくは相手が放ってる魅力的な「何か」、だと思う。
それは「オーラ」であったり、「センス」であったり、あるいは「美貌」であったり、色々だ。

自分もしくは相手が放ってるその「何か」をそのどちらかが無意識に愛することで、
全てが始まる。

そして重要なのは、
愛された側がその愛に気付いた時、
愛してくれてる人も魅力的な「何か」を放っているか否か、ということ。

愛してくれる人が放っている「何か」を愛せて始めて、
相思相愛が成立する。

つまり、
誰かを愛したいなら、まず自分が、
魅力的な「何か」を放つ人間でなければならない、
ということだ。

また月並みな結論になってしまったわけだけど、
とにかく、
「愛されるよりも愛したい」という思考にだけはどうしても共感できない、真剣(マジ)で。

そういうことだ。


補完と想像

全てを知っていることって最善ではないのかも、と思った。

目が無意識に補完をして騙し絵に騙されるように、
何か曖昧なものがあってそれを想像で埋める、
その行為が、実は無意識に日常に楽しさを与えてくれてたのかも知れない、と思った。

わかんな過ぎても駄目、
わかり過ぎても駄目。

その境界線がいつまでも不明なのは、
生きる意味って何なの?っていう問いと同じくらい答えの無いことなんだなぁと思う。

自分と他人と原研哉

誰かに対して「なに考えてるのかわかんない」って思うことがあるけど、
そもそも、他人の考えてることなんてなに一つわかるわけが無い。

「自分はあの人のこと理解してる」って思うのは間違ってるし、
例え一時わかり合えたとしても、1日経てば状況なんていくらでも変わる。

同じように、
誰かに対して「自分の考えは全て伝わってるはず」なんて思うのも、大きな間違いだ。

相手のことがわからないと嘆く前に、自分はわかってもらおうとしてるのかということを自分自身に問うべきだし、
そもそも、相手のことがわからない、自分のことがわかってもらえてない、ということが常なのだし。

要は、
わからない、とか、わかってもらえない、とかいう類のことで、
落ち込んだりイライラしたりする必要はない、
ということ。

何かの本で原研哉が言っていた。
「コップを作ろうとすると、あなたはコップのことがどんどん解らなくなる。でもそれは、あなたがコップから遠ざかったわけではない。むしろその逆である。」

何かについて考えれば考える程、
今まで見えてなかった部分が見えて来て、動揺したり混乱したりする。

だからむしろ、
誰かに対して「なに考えてるのかわかんない」って思うことは、
その人が自分にとって近い存在になってる、という証なんだと思う。


S M T W T F S
 123456
78910111213
14151617181920
21222324252627
28293031   
<< July 2019 >>

recent comment

recent trackback

         


ブルース・リー/死亡遊戯 子供用イエロートラックスーツ(半袖半ズボンタイプ3サイズ)


        

search this site.

others

mobile

qrcode

powered

無料ブログ作成サービス JUGEM